運のツキ始め?2012年01月24日 09時26分38秒

 ここ数年来はまったく運に見放されたかのごとく状況である。何とか打開策を…と思っても、まったくその出口がつかめない。「明けない夜はない」という格言は、そんな状況を数年継続している自身にとっては唯一の希望的格言だが、それにしても夜が長い。もういい加減にどん底の底辺だろう、あとは落ちることはない、上昇するのみ…と思いきや、まだ底があったと思える事態になると、ますます凹んでしまう。

 昨年10月末で、長年勤務した会社を退職し、新たなな職場を探すもまったくアテもなく、現在は夜3~4時間のバイトを週5日のみで、ハローワークやらネット求人で就活の最中。家のローンをまだかかえ、月々の生活費を含め、退職金の切り崩しでしのいでいるものの、たかが知れた退職金ゆえ、1年ももたず底をついてしまうから何とか就職口を…と思っているのだが、中高年のためか厳しい状況が続いている。

 自己都合退職のため、失業保険の給付も3ヵ月の据え置き期間があるため、実際の給付は2月下旬からのため、中途半端にフルタイムのバイトなどもできない。未だかつてない状態で年越しをし、とにかく何かしなくては、と今は就活をしつつ、夜のバイトをし、居住以来まったく手つかずだった家のリフォームをコツコツとやる日々。唯一の癒やしは愛犬イタリアン・グレーハウンドのQちゃんとの時間。しかし、このQちゃんも活動的な犬ゆえ、毎日の散歩が必須である。世間的にあまり日中ブラブラしていたくないのだが、極力散歩は筆者が行くようにしている。

 そんなある日のことである。いつものようにQちゃんを連れて散歩に出た。ものの5分もしないような地点で、突然右後頭部あたりに何かが落ちてきた。あまりに突然でビックリしたが、早足で歩くQちゃんのリードを放すわけにはいかない。歩きながらも一体何事だ?と思いつつ、急いでハンカチで右後頭部あたりを拭いてみると…何と!フンが降ってきたのであった。上を見ると電線にカラスがとまってカァカァ鳴いている。さては!…そう、何とカラスの分が筆者の右後頭部に降ってきたのである。

 非常に不快である。急いでハンカチで再度拭くと、何やらあの独特の色の汚れがついた。何度も慌ててハンカチで右後頭部を拭いた。しかし、手にはQちゃんを連れるリードがある。しかも彼は歩くのが極端に早く、しかもパワフルゆえ、落ち着いて頭に降りかかってきたフンを拭うこともできない。家に戻ろうかとも思ったが、ええ~い!面倒だ!と結局そのまま何度も頭をハンカチで拭いて、髪の毛を手ぐしで何度モバサバサさせながら散歩を継続した。

 いつもなら散歩途中、どこかでウンチをするQちゃんだが、その日に限っては途中ウンチはなかったのだが、何と飼い主である筆者が、カラスのフンに大当りしたのである。家に帰って妻に話すと、どうやら妻も同じ目にあったことがあったようで、そのことを知人に話したら、「笑っちゃ悪いけど、ウンがつくかも」と言われたとのこと。

 なるほど、確かにフン=ウンチ=ウン=運ということで、それが降ってきたということは運がつく…ということになる。そもそも歩いていて上空から降ってくる鳥のフンに大当りする確率とは一体どの程度なのだろうか?空を飛ぶ鳥や電線にとまっているカラスなどがフンをして、それに偶然にも大当りするのは日常的にあっても、まったく不思議なことではないが、その確率は一体いかほどのものなのだろうか?

 思わぬアクシデントであったが、果たして筆者にウンがつくのだろうか?どうせならこのどん底、運がついてほしいものである。ちなみに家に帰って、すぐに洗髪したのは言うまでもない。突然のアクシデントも捉え方によってはプラスになる?ものである。

55歳になってしまった!2011年02月21日 00時22分04秒

 日付が変わってしまったが、昨日2月20日で55歳になってしまった。
…なってしまった…と書くと、いかにもショックをあらわにしているようなニュアンスだが、確かに年齢を重ねること…年を取ることを喜ぶ人はいないだろう。

 年を取ることは生き物の宿命であり、当然のことで、誰も避けて通ることはできない道ではあるが、やはり何となくショックではある。それは、自身の人生がまた一歩、終末に近づいたことを嘆くからだろうか?

 はたまた、単純にかつての若かった頃の自身を思い起こし、もうあの頃には戻れない、そんなことに対する失望感からだろうか?

 しかしそんなことを自己分析したところでどうなるものでもない。55歳になったことは紛れもない事実であり、それを受け入れ、自分自身がそれに対応した生き方をしていけばいいことである。

 確かにもう数年引きずっている「不運」の波はおさまることなく、これでもか、と覆いかぶさってくる。もうどん底だろうに…と思ったにも関わらず、底なし沼のごとく「不運」は深い。

 55歳までにこうありたいな…などと思っていたことはまったくできていない。まぁ、いつか夜は明けるさ…と思いつつも、その長さに疲労もしてしまうが、それでも何とか生きていくしかない。「必ず」夜は明けるのだから。冬の次には春が来るのだから…。

2011年1月1日2011年01月01日 21時05分48秒

 新年となった。考えてみれば、子どもの頃は大晦日の夜くらは夜更かししても叱られず、今でいうカウントダウンを果たしてどこで、どのような状況で迎えたか、学校が始まると友だちと話したものだったが、まさに今は昔である。

 いまどきの子どもたちは到底そんなことはしないだろうし、大晦日から日付が変わり、新しい年になる瞬間の状況自慢などまったくナンセンスなことだろう。

 よく年を取ると月日の経過するのが早く感じるというが、まさにその通り。筆者も完全なオヤジ世代として、時間の経過の早さに愕然とするばかりである。そして、新年などという状況でも特に改まった感慨もなく単に1月1日という翌月に変わっただけであとは曜日を追うのみである。

 大晦日などもかつてのようにお決まりの日本レコード大賞を見て、紅白歌合戦を見て、行く年来る年を見て…などということはまったくなく、気づいてみたら12時を過ぎて新年になっていた…という状況だ。

 年賀状も今ややむなく簡単に済ませようと市販の年賀状デザイン集などから作成し、宛名も専用ソフトで印刷。いくら何でも全部印刷は味気ないと、多少のコメントは手書きするようにしているが、昨年はとうとうその年賀状書きも大晦日の土壇場まで追い込まれて仕上げたような有様だった。

 まぁ、それでもとりあえず2011年という新しい年となったゆえ、まずはしばらくサボっていたブログを書くことにした。今年の抱負…などという言葉も今となっては懐かしい。

 それなりの意気込みをもって、前年が不調であれば、今年こそ!などと意気込みを抱いたものだが、ここ10数年来ほとんど同じような状況で、どっぷりと底辺を這いずり回っていると、せいぜいちょっとは浮上したいものだ…程度の「意気込み」しか湧いてこない。

 と、言うよりそうしたことはあまり考えていない。とは言え、心の奥底では、せめて前年よりはちょっとはマシな年になるといいな…などと思っているというのが本音だろうか。果たして来年の今頃は、一体どういう状況で何を思っていることやら。