映画「オーシャンズ」2010年02月07日 08時49分12秒

オーシャンズ

 劇場PRで何度も目にしていた「オーシャンズ」を観てきた。スクリーンいっぱいに広がるであろう海を見るには少々寒い冬ではあるが、公開時期が冬なのだから仕方ない。じつは、このようないわゆるドキュメンタリー映画というものは、劇場で観るのは初めてであった。好きなジャンルに属する映画なのだが、わざわざ映画館まで行って観るまでもないだろう…と思っていたのである。

 しかし、ドキュメンタリー映画こそ、映画館で観るべきなのかもしれないと、観終わった後思った。なぜなら映画館の大スクリーンは当然ながら家庭のTVの比ではないからだ。いかに大型テレビといっても、あんな映画館のような大画面は不可能だし、それこそホームシアターシステムでも完備し、スクリーンを張って、大音響で鑑賞できるなら別かもしれないが。

 まず、多種の海の生物の存在に驚かされる。ただでさえ、無知で魚の種類さえまともに列挙できないが、その不思議な容貌をした生き物たちに驚く。そして、自然界では仕方ないことではあるが、それぞれの生物が生きるために、別の生き物を餌にする厳しさを痛感せずにいられない。

 映画の紹介を調べると、世界に一台しかないというステディカムという、猛スピードで泳ぐ魚たちをまったくブレずに撮影できるカメラを使用し、4年という撮影期間、470時間の撮影時間をかけて制作されたのだそうだ。

 「海って何?」…初めて海を見た少年の一言から始まった…とは、この映画のセールスコピーでもあるが、莫大な費用と設備を投資して宇宙へ進出しようとする人類に対して、もっと身近なところに、まだまだ未知の別の宇宙がある…という観点は非常に共感できることである。

オーシャンズ2

 博物館に展示された絶滅してしまった生物たちの標本は、何を語っているのか?自然現象で、自然淘汰されて消滅していく生命なら、それはまだ悲しいながらもやむを得ないことと思えるかもしれない。しかし、そのほとんどは人為的な要因から絶滅してしまったことが圧倒的に多いはずである。

 奇怪な容貌のクラゲだって生きている。砂浜から生まれたばかりのカメたちが、海をめざして歩いている時に、空中から海鳥たちがサッと口ばしでカメを捕らえてしまうシーンはあまりに厳しい現実である。それでもカメたちは全て鳥の餌になってしまうわけではなく、適度な数は生き延びるのだという。生態系を維持するための自然の摂理なのである。

 観ていて思ったことは、すべての生物の目が、何とも言い難いものであったということ。アザラシのようなはっきりした表情はもちろんだが、魚の目にさえ何か表情があることに、「生」を感じた。

 そして、何よりも痛感させられるのが、環境破壊による問題である。かつての美しさを失っていく海。聖域と言われていた南極でさえ、その氷が解け始めてしまっている地球温暖化の問題。全ては自然の流れではなく、あくまでも人為的な原因ということが悲しい。環境破壊によって、棲家を失っていく生物。乱獲によって絶滅してしまった生物。全てその根源は人類である。

 映画「2012」を観た際にも思ったが、人類は発展のため、利便性のために自然を破壊し、その積もり積もっている問題を常に先送りしている。「今のままのペースで行くと」と、シュミレーションはしても、それが50年後の話であれば、誰が真剣に考えるだろうか?

 どうせその頃はこの世に存在しない…となれば、自分が生きている間は、存分に繁栄と利便性と利益を追求し、そのツケはその時代の人が払えばいいこと…と先送りされる。
世界で現実に起こっている戦争やテロ、各国が自国の繁栄を最優先して、なかなか進展しない温暖化対策…。多分、地球滅亡まであと1週間しかありませんよ…という現実を突きつけられたら、初めて全世界が生存のための最大限の協力をするのだろうか。

 筆者はたまたまレッドデータブックにも絶滅危惧種にピックアップされているウミガラス(オロロン鳥)とエトピリカという海鳥を保護・繁殖させるための支援サイト「SAVE ORORON」「エトピリカのいる海」を運営しているが、毎年その繁殖状況の情報を聞くたびに、野生の生き物たちの人類に対する厳しい回答を痛感する。いかに人工的に誘致しようと、関係者が最大の努力を払っても野生の生き物たちはそれを認めてくれない。飛来しても繁殖せずに立ち去ってしまうのは、野生動物たちの環境に対する明確な評価である。人類は野生の生物から、現状の環境管理に不合格を出されているのである。

オーシャンズ3

 …映像の中で不可思議で理解できない鮮烈なシーンがあった。捕らえた魚の尻尾や一部を切り取り、それをまた海に戻していたシーンである。戻された魚は当然ながら泳ぐことはできない。呼吸をすればエラの部分から血が吹き出る。しかし死んではいない。まさに「半殺し」状態で海に戻したシーンである。あまりに非情なシーンであるとともにその意図を理解できずにいる。他の魚をおびき寄せるための行為なのだろうか?もちろん人間が人為的に行っていることである。衝撃的である。

 この「オーシャンズ」は劇場によってかもしれないが、子どもには500円で鑑賞できるサービスが実施されている。多くの子どもたちに鑑賞してほしい…という意図なのだと思うが、子どもたちがこうした素晴らしいドキュメンタリー映画を鑑賞してほしいのは確かである。ゲームや携帯などに縛られていないで、大きなスクリーンで人類が進行させている環境破壊の現状を理解させ、すべての生物の生命の尊さを理解してもらうことは重要である。

 しかし、何よりもまずこれは現役の大人が鑑賞しなくてはいけない。「海って何?」…少年の発した疑問に明確な回答をするのは、将来の大人である子どもではなく、現役の大人なのである。私たちの世代ではこのように環境を破壊して、繁栄を享受してきましたが、50年後はもう生存していませんので、後はよろしく…ではダメなのである。現役の大人…それも権力や財力をお持ちの立派な大人がしっかりと鑑賞すべきドキュメンタリー映画ではないだろうか?もちろん、筆者も含まれる一般人であるその他大勢の大人も声を上げるべきであるが。

映画「2012」2009年12月23日 09時25分03秒

2012

 「2012」を観た。ご覧になった方も多いと思うが、古代マヤ人が予言したという2012年12月21日「地球滅亡」を描いた超大作である。

 一時のノストラダムスの大予言1999年7月を無事、乗り切ったと思ったら、2012年にもまだその危機は引き継がれていたのである。地球滅亡の原因となるのは、これまた話題となった「惑星直列」である。難しいことはわからないが、太陽系に存在する全ての惑星が一直線に配置され、その影響によって自然界に大きな変動が生じるのである。

 この「2012」の予告編でも、そこから端を発して、古代マヤ人の予言とマヤ暦が2012年で終わっていることから2012年が地球滅亡という設定なのである。
 ただ、この映画の場合、そうした原因ともなるべき「惑星直列」や古代マヤ人の予言といったものはほとんど紹介されない。

 イメージ的にはまず惑星直列という極めて稀な現象が近づくにつれ、世界の科学者が中心となって、その影響を大々的に発表し、警告し、そこにある古代研究家がマヤ文明の綿密なる研究の下、2012年が地球滅亡となる予言があることを突き止め、全世界に一気に危機感と恐怖感が募る。そして、その前兆が徐々に現れ始め…などと勝手に想像していたのだが、この映画ではそういった最初の原因等については極めてサラッとイメージ的なシーンで済ませ、一気に地殻変動が激しくなっている状況が描かれる。

 その規模は学者の予想をはるかに上回る速さで進行しており、ある日突然のごとく、世界各地で地割れなどの異常現象が多発し、大パニックとなる。
 ところが、世界の要人たちは、すでにそうした危機が迫っていることを、かなり以前から察知していたらしく、密かにそうした気候変動によって引き起こされる大洪水から非難するための「ノアの箱舟」を建造していた。もちろん、人類全員が乗船できるはずもなく、選ばれた人だけがチケットを持っているのである。そしてその箱舟は中国で建造されていたのである。

 この映画を観に行く前に新聞だったか、週刊誌だったかで、ここ最近の米中の関係を取り上げ、そうした政治的意図もちらっと垣間見える…という記事があった。中国人は、この映画を絶賛し、「箱舟の建造地を中国に設定したのは大正解である!中国なればこそ、そうしたことができるのである」と、えらくご満悦とのこと。

 そのあたりの真偽のほどはさておき、映画は地球の滅亡をあらゆる天変地異を連続させて描写する。その迫力は凄い。一体、どうやって撮影したのだろうか?と思えるシーンの連続である。約3時間という長い映画だが、そうした長さはまったく気にならない。非情なまでに地球は崩壊していく。

 最後は乗船できた一部の人類を乗せたノアの箱舟に向かってとてつもなく巨大な津波が襲いかかり、主人公ともいうべき男の乗った箱舟のドアが不完全にしか閉まっていなかったために、危機状態となり、男が勇敢にもその原因を取り除くために行動する。かつてのポセイドン・アドベンチャーのような展開である。そして、かろうじて危機一髪で生き残った人類は2012年の滅亡から逃れたのである。

 この映画が封切られる前の劇場PRを見たときから、その迫力に圧倒され、これは是非観たい…と思っていた。ただ、封切りと同時に観なくても、ある程度の期間は上映しているだろうから…と先延ばしにしていた。

 筆者が観に行く映画館はダイヤモンド・シティという大きな商業施設内にあるワーナーマイカルの劇場なのだが、そこには客席数によって大小の10以上の劇場がある。どこの劇場でも同様だろうが、封切り当初は最も大きな劇場で上映される。そして、ある程度の期間が経過すると、その後に新たに封切られる新作に場所を譲って、小さめの劇場に移っていく。

 スクリーンの大きさや音響効果といったものにあまり左右されないような作品なら、劇場規模の大小はあまり関係ないかもしれない。しかし、この手の作品は、大迫力の大きなスクリーンと音響によって楽しめるものである。その意味では、油断していた。観に行った時には130名ほどの収容規模の劇場に「格下げ」されていた。それでも、もちろんDVDなどで家庭のTVで鑑賞するのとは雲泥の差ゆえ、いいのだが、やはりその施設の中で最も大きな規模の劇場で観たら、もっと迫力だっただろうか?と思ってしまった。

 この映画を観た翌日の新聞にCOP15の記事が載っていた。世界規模で、地球環境を守るための制約等を決めましょう…という会議である。それが、いわゆる先進国と途上国との言い分で合意が見出せず、京都議定書の延長やら、日本や欧州にとって好ましくない展開との内容だった。途上国からすれば、ここまで環境破壊を進めてしまった原因は先進国にあるのだから、先進国は厳しい規制を約束しなさいと主張し、先進国は世界的にすべての国が平等に規制を約束しましょうと主張する。ただし、アメリカはやや例外的ではあるようだが。

 双方の主張は、もちろんその言いたいことは誰でもわかることである。途上国は、これから国が繁栄していかなくてはならないゆえ、そんな規制などの約束などできるものか!と突っぱねるし、先進国は今まで散々環境破壊を引き起こす人間中心の発展を続けてきたが、最近の地球環境を省みたら、ちょっとまずい状態になっているから、自分たちも規制するが、これから発展を目指している途上国の皆さんも、ちゃんと規制しないと本当に地球は危ないですよ…と言うわけである。

 しかし、結論は何ともはっきりしない状況で閉会したようである。各国の言い分は、それなりに事情や理由がある。しかし、この「2012」のような映画を観た後だと、このような天変地異が人為的行為によって、現実になるのも、まさに遠くない将来ではないかと思えてならない。

 地球温暖化の問題なども、連日新聞、テレビなどで報道されているが、「このままでは大変なことになりますよ」というだけで、そこにある危機ではない。50年後にはこうなってしまいますよ…というシュミレーションはあっても、50年後にはそうしたシュミレーションをした人も、危機感を訴える人もこの世の中には存在しない。もちろん、筆者もとっくに存在しない。つまり、明日のこと、1週間先のこと、1ヶ月先のこと、1年先のこと…比較的近い将来なら、それこそ目の色を変えて、これは大変だ!何とかしなくてはいけない!と真剣になるが、50年先のことなど知ったことか!というスタンスである。

 先送りして、あとはよろしく…である。自分たちが生存する時期に、何かとんでもないことが発生すれば、生死に直接関わる問題として、何をおいても解決するために最大の努力はする。しかし、どうなるかわからない何10年先のことなど、今マジメに討議したって、どうせその頃には自分は存在していないのだから関係ないか…というスタンスとなる。

 そして、数10年先に、実際にそうした状況に遭遇した人類は、「もっと前から対策を施していれば…」と悔やむ結末を迎え、まさに映画のごとく人類滅亡の危機に直面することになるのだろう。

 映画を観た翌日の、その新聞記事を読んで、何かつくづく思った。自分自身を含め、将来に対しての無責任さ…、これが存在する限り、人間はいろいろな映画で描かれてきたごとく、厳しい「最後の審判」を受けることになるのだろう…と。10年後にこういう危機的状況に陥る…というシュミレーションがあっても、じゃあ5年後くらいなら、とりあえずは大丈夫なわけだ、と先送りする。もうちょっと近づいたらみんなで真剣に考えて対処しましょう…これでは遅いのだろう。

 しかし、もっともっといい生活をしたい、発展したい…これはどの国民も同様に思っていることである。この地球全体も守るのも大事だけど、その前に自分のところが発展しないことには話にならない…途上国の言い分は今まで環境破壊の要因を作ってきた先進国にしっかり責任を取りなさいという主張である。

 何とも難しいことである。こうして多分、人類は繁栄と滅亡を繰り返していくのだろう…などと改めて考えさせられる映画でもあった。何やらやや難しい(?)話題にそれてしまったが、大きなスクリーンで、ぜひご覧いただきたい作品である。

シーバード・フレンドリー宣言カード2009年05月04日 15時33分10秒

シーバード・フレンドリー宣言カードパンフレット表面
 筆者が別サイトで運営している海鳥の誘引・保護支援および環境保護支援サイトである「エトピリカのいる海」がある。
 かつて北海道海鳥センターが主催のステッカー・デザインコンテストで幸運にも最優秀賞であるオロロン鳥賞をいただいたことがきっかけで、せっかく賞をいただいたのだから、何かお手伝いを…ということで、自主的にその支援サイト「SAVE ORORON」を立ち上げた。

 オロロン鳥というのは正式名称はウミガラスというのだが、鳴き声が「オロロ~ン」と聞こえることから地元の人々がオロロン鳥の名付けたのだそうだ。

 その時、環境省の小野宏治氏には大変お世話になり、その小野氏が転勤によって釧路に移られ、今度はエトピリカという海鳥の支援・保護に関わるとのことから、かつての「実績」を見込まれ(?)、新たにエトピリカのサイトとして「エトピリカのいる海」を立ち上げたのであった。

 エトピリカという海鳥は、非常に特徴的な容貌をしている。一度見たら、まず忘れないだろう。そもそもエトピリカという名前はアイヌ語で口ばしが美しい…ということから由来するのだそうだが、確かに口ばしはオレンジ色で、目のあたりから、まるでモヒカン狩りのような長い毛があり、非常に特徴的である。 海鳥…とはいえ、鳥には変わりないわけで、もちろん飛翔能力はあるが、どうも優雅に飛ぶ…というよりは、パタパタとせわしなく羽根を動かして飛ぶようである。

 このエトピリカも、ウミガラス同様にレッド・データブックという絶滅の危険度を表示する資料では、近い将来に絶滅の危険がある「絶滅危惧ⅠA類」に指定されている。

 このエトピリカを保護・繁殖させるための様々な試みが釧路自然環境事務所やNPO法人・霧多布湿原トラストなどが中心となって行われている。

 その一環として、現在「シーバード・フレンドリー宣言カード」の募集を行っている。これは、その名の通り、海鳥のための環境を考えることは、人間にとっての環境、ひいては地球全体の環境問題にもつながることであり、その宣言をしてもらい、海鳥のために何が出来るのか、地球環境を守るために何が出来るのか、文章でもイラストや絵を問わず提案してください…という企画である。

パンフレット裏面
 筆者の運営する「エトピリカのいる海」でも現在、その告知を行っているので、是非気軽にほんの思いつきでも、例え実現は無理かな?などと思うでもいいから、どしどし応募していただきたいものである。応募者には抽選でエトピリカが可愛らしくデザインされた、エコピリカ・エコバッグもプレゼントされる。

 ところで、こっそりとお教えしてしまうが、じつは、「エトピリカのいる海」のサイトが4月26日にオープン1周年を経過したこともあり、関係各所のご厚意からのご提供を受けて、1周年記念プレゼントを実施する予定なのである。

 賞品には、前述のエコピリカ・エコバッグの他に、ブローチやペーパースタンド、ぬいぐるみや絵本などが登場する予定で、現在準備中である。あくまでも、ここだけの話ゆえ、このブログを偶然にも読んだ方は、是非記憶に留めておいて、プレゼントにご応募いただきたいと思う。