イメージ違いだけど面白い!ヒューゴの不思議な発明2012年03月14日 15時44分33秒

ヒューゴ01

 劇場に置かれたチラシで見かけた時から是非観たい映画のひとつだった。3月1日封切りで、たまたま1日はサービスデーで入場料が1000円均一という映画ファンにとっては嬉しい日だったので、初日に鑑賞したのがこの「ヒューゴの不思議な発明」である。

 当初はそのタイトルやチラシの写真等から完全にファンタジー映画だろうと想像していた。ヒューゴという少年が主人公で、しかも「不思議な発明」というタイトルがつけば、タイムマシンのごとく不思議な装置を天才少年が発明し、そこからファンタジックな冒険でも展開されるのだろうと思っていたのである。

 ところが実際には全く違った。ファンタジー的要素がないわけではないが、それよりは一言で言うなら映画ファンのための素敵な映画…という印象だった。

ヒューゴ02

 時計等の精密機械を仕事としていた父親を火事で失ってしまったヒューゴ少年は、父親が残したゼンマイ仕掛けで動くロボットのような人形の修理に没頭していた。その修理に必要な部品を盗むことを繰り返していたヒューゴはオモチャやいろいろな雑貨を店頭で売っている老人にとうとう捕まってしまう。

 そこから話はその老人の過去につながっていき、実はその老人がかつては映画制作のパイオニア的存在の過去を持っていたことにつながる。ロボット人形はその老人が唯一、処分できなかった魂のこもった過去の遺物だった。修理が終わったロボット人形が描いた一枚の絵から、やがてそのナゾがつながっていく。そして老人は自ら封印していた過去に対して前向きな姿に転換していく。

 だいたいにおいて子どもが主人公の作品というのは面白く、後味が良いものが多いが、この作品も同様にじつにうまく感動させられる。よく考えてみると「不思議な発明」というタイトルは一体何をさしているのか?と思えるが、そんなことはあげ足を取るごとくだから、無視した方がいいのだろう。少なくとも発明とは言い難い内容なのだが、この際はそんな些細なことは考えないべきだろう。見て決して損はないおすすめ映画である。

ヒューゴ03

タイトルがものすごく長くて…?2012年03月12日 10時04分51秒

ものすごく01

 トム・ハンクスとサンドラ・ブロックが奇跡の共演…などというかなり大げさな宣伝文句があったように記憶しているが、それ以上にまず何とも変わったタイトルである。劇場で入場券を購入する時にタイトルをフルで言うことができず、「ものすごくを夫婦割で」と購入した始末だった。「ものすごく」だけで劇場のスタッフはもちろん理解してくれたが。

 正確なタイトルは「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」…そんなタイトルの表す通り、映画の展開そのものもちょっと変わった映画である。主人公の少年もどことなくちょっと普通ではない。もちろんそんな性格設定は父親を9.11のテロによって失ったということからは当たり前の設定なのかもしれないが。

 話はその少年が父親が残したメモと鍵から、そのナゾを解こうとする姿を描いていく。母親との感情のすれ違いがあったり、祖母の同居人が実は少年の祖父であり、少年のややこじれてしまっていた精神や感情がノーマルな状態に回復していく流れなのだが、そうした展開がまったく退屈する暇もなくじっくりと鑑賞できる。

ものすごく02

 タイトルの長さや表面的な内容説明のためなのか、あまり話題にならない印象の映画だが、結構名作と言える素晴らしい作品なのではないかと思った。少年がそれまで自分が訪ね歩いた多くに人たちに宛てて手紙を書き、それを朗読するシーンが終盤にあるが、その時のセリフで非常に印象深いものがあった。「やらないよりはやって失望する方がいい」…失望するということは非常に厳しいものである。その字の通り「望みを失う」ことだが、それすら何もしないことよりましだというのである。何もしないことはいかにショックを受けようが、それ以上にマイナスだと言うのである。これは非常に奥の深い言葉である。

 この映画を鑑賞する前日は、事情があり、睡眠時間が3時間ほどしか取れず、映画を見る上では少々悪条件下であった。ちょっとでも退屈すれば一気に睡魔に襲われる危険性があった。しかし、まったく睡魔に襲われることなく、最初から最後まで集中して鑑賞できた映画であった。

ものすごく03

麒麟の翼~劇場版・新参者~2012年02月03日 14時01分31秒

麒麟の翼1

 決して毛嫌いしているわけではないのだが、あまり邦画は見ない。日本映画を低く見ているわけではないのだが、よほど気にならない限り、率先して劇場に見に行く気にはならないのだ。ただ、まったく見ないわけではないし、今までも何本かはしっかりと劇場に見に行っている。

 今回紹介する「麒麟の翼」は大ヒット作家、東野圭吾さんの小説の映画化であるが、実は特に注目していたわけでもなかった。筆者はテレビよりラジオ派で、車を運転する時がメインだが、ラジオを聞く。そのラジオ番組で、結構頻繁にPRしていたのが、この「麒麟の翼」だった。特に主演の阿部寛さんがゲストで出演し、映画に関わるいろいろなエピソードを話しているのを聞き、まず阿部寛さんの人間性に非常に好感が持てた。

麒麟の翼5

そして、そのインタビューを聞いているうちに、これは結構面白いかも?と思った次第である。ということで、日曜日のレイトショーで見てきた。まだ封切り間もない作品だし、推理というより犯人は誰だ?的な要素ゆえ、レビューとしてそれを記してしまうのはルール違反ゆえ、その件については伏せておくが、面白かった!というのがまず結論である。やはり原作がいいのかもしれないが、かなりしっかりと集中して鑑賞できた作品だった。

 主演の阿部寛さんも非常に良かったし、体調的にはもしちょっとでも中だるみするような展開なら思わず睡魔に襲われるような状態だったにも関わらず、まったくそんなこともなく、約2時間という上映時間内、まったく眠くなることもなく集中できた。

 話は日本橋にある翼のある麒麟像で青柳武明という男が死んでしまうことから始まる。この中年サラリーマンは中井貴一さんであるが、久しぶりに見て、随分顔がふっくらした印象であった。それはともかく、そこから事件のナゾ解きが始まり、刑事・加賀恭一郎(阿部寛)が活躍する。容疑者がすぐに浮かび上がるが、その容疑者は逃走中に事故に遭い、意識不明の重体の末、死んでしまう。

麒麟の翼3

 中井貴一さん扮する青柳武明は、日本橋周辺の七福神巡りをしていたことがわかるが、一体なぜそのようなことをしていたのか?そのナゾ解きも真犯人解明への糸口となる。
前述したが、筆者はラジオで阿部寛さんのインタビュー等を聞き、ロケにまつわるエピソードなどを聞いていたから、場面の途中で、これがあのラジオで言っていた場所か…などとまた別の意味でも認識を深めたことも鑑賞とは別に興味深いことだった。

 世間的評判はどうなのか、わからないが、筆者としては決して見て損する作品ではないと思う。こうした推理的作品は、途中の早い段階でネタばれしてしまうと結構シラケるものだが、その点でも筆者が鈍感なのかもしれないが、ある程度まで興味を持てたことが、退屈することなく、時間を気にすることなく、まったく睡魔にも襲われなかった理由かと思う。

麒麟の翼4

 ただ、この映画のガッカリした点は、名の売れた役者さんたちは、もちろんまったく問題ないのだが、登場人物の中で正直なところ、勘弁してくれ!と思いたくなるようなキャラクターがいたことである。誰と誰…とは言わないが、出演者に上手い下手のギャップが大きすぎたと感じた。セリフの言い回しもそうだし、演技そのものも、もう少しマシな役者はいなかったの?と言いたくなる登場人物がいた。

 これはもしかしたら、邦画でセリフが当然日本語ゆえ、余計気になったのかもしれない。洋画では、ほとんどこのような感覚を味わったことはないのだが、それは字幕だからなのかもしれないが、やはり脇役的存在であっても、例えエキストラ的にチョイ役で登場するキャラであろうと、あまりにもレベルが低いと、少々ガッカリしてしまうものである。結構、締まった展開で、実力ある役者さんたちも良かっただけにその点だけが残念なことだった。まぁ、それはともかく筆者としてはしっかり集中して鑑賞できる面白い映画だったと評価できるのではないかと思う。
麒麟の翼2

運のツキ始め?2012年01月24日 09時26分38秒

 ここ数年来はまったく運に見放されたかのごとく状況である。何とか打開策を…と思っても、まったくその出口がつかめない。「明けない夜はない」という格言は、そんな状況を数年継続している自身にとっては唯一の希望的格言だが、それにしても夜が長い。もういい加減にどん底の底辺だろう、あとは落ちることはない、上昇するのみ…と思いきや、まだ底があったと思える事態になると、ますます凹んでしまう。

 昨年10月末で、長年勤務した会社を退職し、新たなな職場を探すもまったくアテもなく、現在は夜3~4時間のバイトを週5日のみで、ハローワークやらネット求人で就活の最中。家のローンをまだかかえ、月々の生活費を含め、退職金の切り崩しでしのいでいるものの、たかが知れた退職金ゆえ、1年ももたず底をついてしまうから何とか就職口を…と思っているのだが、中高年のためか厳しい状況が続いている。

 自己都合退職のため、失業保険の給付も3ヵ月の据え置き期間があるため、実際の給付は2月下旬からのため、中途半端にフルタイムのバイトなどもできない。未だかつてない状態で年越しをし、とにかく何かしなくては、と今は就活をしつつ、夜のバイトをし、居住以来まったく手つかずだった家のリフォームをコツコツとやる日々。唯一の癒やしは愛犬イタリアン・グレーハウンドのQちゃんとの時間。しかし、このQちゃんも活動的な犬ゆえ、毎日の散歩が必須である。世間的にあまり日中ブラブラしていたくないのだが、極力散歩は筆者が行くようにしている。

 そんなある日のことである。いつものようにQちゃんを連れて散歩に出た。ものの5分もしないような地点で、突然右後頭部あたりに何かが落ちてきた。あまりに突然でビックリしたが、早足で歩くQちゃんのリードを放すわけにはいかない。歩きながらも一体何事だ?と思いつつ、急いでハンカチで右後頭部あたりを拭いてみると…何と!フンが降ってきたのであった。上を見ると電線にカラスがとまってカァカァ鳴いている。さては!…そう、何とカラスの分が筆者の右後頭部に降ってきたのである。

 非常に不快である。急いでハンカチで再度拭くと、何やらあの独特の色の汚れがついた。何度も慌ててハンカチで右後頭部を拭いた。しかし、手にはQちゃんを連れるリードがある。しかも彼は歩くのが極端に早く、しかもパワフルゆえ、落ち着いて頭に降りかかってきたフンを拭うこともできない。家に戻ろうかとも思ったが、ええ~い!面倒だ!と結局そのまま何度も頭をハンカチで拭いて、髪の毛を手ぐしで何度モバサバサさせながら散歩を継続した。

 いつもなら散歩途中、どこかでウンチをするQちゃんだが、その日に限っては途中ウンチはなかったのだが、何と飼い主である筆者が、カラスのフンに大当りしたのである。家に帰って妻に話すと、どうやら妻も同じ目にあったことがあったようで、そのことを知人に話したら、「笑っちゃ悪いけど、ウンがつくかも」と言われたとのこと。

 なるほど、確かにフン=ウンチ=ウン=運ということで、それが降ってきたということは運がつく…ということになる。そもそも歩いていて上空から降ってくる鳥のフンに大当りする確率とは一体どの程度なのだろうか?空を飛ぶ鳥や電線にとまっているカラスなどがフンをして、それに偶然にも大当りするのは日常的にあっても、まったく不思議なことではないが、その確率は一体いかほどのものなのだろうか?

 思わぬアクシデントであったが、果たして筆者にウンがつくのだろうか?どうせならこのどん底、運がついてほしいものである。ちなみに家に帰って、すぐに洗髪したのは言うまでもない。突然のアクシデントも捉え方によってはプラスになる?ものである。

いいじゃん!リアル・スティール2012年01月14日 10時00分12秒

リアル・スティール1

 少々前の話になってしまうが、正月2日のレイトショーで「リアル・スティール」を見てきた。この映画は昨年から気にはなっていたのだが、なかなか時間的に余裕が持てず先送りしていた。

 実際に見てみての感想だが、映画好きの方ならまず真っ先に「ロッキーのロボット版じゃん!」と思うのではないかと思う。シルベスタ・スタローンのあの「ロッキー」である。その「ロッキー」シリーズの最初の作品をそっくりそのままロボットに置き換えたかのごとく映画がこの「リアル・スティール」と言っても言い過ぎではないと思えるほどである。

リアル・スティール2

 ロッキーはガラクタ置き場から主人公の1人である少年に拾われ、再生されたロボットATOMであり、チャンピオンのアポロは最強のロボット・ゼウスである。ロッキーが無名にも関わらず、チャンピオン・アポロへの挑戦権を得て、晴れのリング上で善戦するが、無念にも判定でアポロに敗れる。まさにその展開通り、リアル・スティールでもATOMがゼウスの猛攻に耐えて反撃し、最終ラウンドではダウンを奪うも、おしくも判定で敗れる。

 もちろん、リアル・スティールの場合、主人公はロボットではなく、それを操作する少年と、かつて親権放棄した父親であり、その親子関係なども絡んでいるので、まったくロッキーの焼き直しではない。

 しかし、恐らくご覧になった多くの方が、「ロッキーじゃん!」と思ったことだろう。
筆者も確かに見終わった後、真っ先に「ロッキーじゃん!」と思った。…が、同時に「それが何か?いいじゃん!ロッキーのロボット版でも!」と思った。つまり肯定である。ロッキーは確か6作までだったか、あったと思うが、筆者は5作までは見たが、基本的には話の展開はワンパターンである。

リアル・スティール3

 そして最後にぐ~と盛り上がって、おしまいという展開である。それが毎作想像できながらもつい見てしまう。特に4作めの「ロッキー炎の友情」だったかがシリーズ内ではもっとも好きである。マシンのようなロシアのボクサー・ドラコに打ち勝つロッキーは感動ものである。

 簡単に言ってしまえば、筆者の場合、ロッキーがお気に入りでもあるゆえ、今回の「リアル・スティール」も肯定するのかもしれないが、この作品の場合、子どもが絡むことで単に格闘映画ではなく、ロッキーより幅広い支持層を獲得できるのではないかと思う。全体の展開としては、再三記した通り、ロッキーシリーズの最初の作品の焼き直しではあるが、筆者はそれで大いに結構と思ってしまう。

 ロッキーも何度か繰り返し、DVD等で見て、すっかり話の筋がわかっていながらも、最後のクライマックスで感動してしまうのと同様に、この「リアル・スティール」ももう一度見てもいいかな…と思える作品である。格闘映画とかがお気に召さない方にはどうかと思えるが。

リアル・スティール4

面白い!おすすめ!猿の惑星ジェネシス2011年10月10日 09時39分24秒

 先般、映画を見に行った際にその予告編で見てから、これは是非見てみたい…と目をつけていた映画である。映画好きな方なら「猿の惑星」と言えば、第1作にあのチャールストン・ヘストンが主演した映画を思い出すだろう。

 筆者も年代的にはその年代ゆえ、この予告編を見た時、かつての「猿の惑星」とはまったく質の異なる映画なのだろうことは想像できたが、今回の「猿の惑星ジェネシス」はまさに「猿の惑星」でありつつ、まったく以前のシリーズとは異なる作品だと言えるかと思う。
猿の惑星ジェネシス1
 主人公の製薬研究所に勤務する青年がアルツハイマー病に効果的な新薬の開発に成功し、それをチンパンジーに投与するのだが、そのチンパンジーが子どもを宿したまま研究所で暴れたために射殺されてしまう。そのDNAを受け継いだ子どものチンパンジー「シーザー」が高度の知能を持ったチンパンジーとして成長するのだが、この映画の幅広い点は、単にSF的な内容などではなく、アルツハイマー病という現代医学ではお手上げ状態となっている病気に対しての画期的な新薬開発と、主人公の青年にアルツハイマー病を患っている父親がいて、新薬の研究開発はイコール自身の父親をも助けたいという設定ということである。

 一端は回復した父親だが、時間とともに新薬に対する抗体ができ、より強力な作用を持った新薬を開発するが、それはチンパンジーにとっては驚異的な脳の発達を促すが、人間には悪影響を及ぼす結果となる。予告編での「進化は彼らを選んだ」という宣伝コピーはこのことを指した非常にツボにはまったものである。

 高度な知能を要し、たくさんのチンパンジーやゴリラやオランウータンたちのボス的存在となったシーザーは、飼い主だった青年に別れを告げて本来の自分の仲間との道を選択するのだが、かつての「猿の惑星」とはこうした展開や結末も、その性質がまったく異なることの点である。

猿の惑星ジェネシス3

 以前の「猿の惑星」は宇宙飛行士のチャールストン・ヘストンが不時着した惑星が猿の支配する惑星で、その追っ手からようやく逃げて、辿り着いた場所は過去の遺物が葬られている「禁断の区域」で、破壊された自由の女神像を目にし、不時着した場所が、じつは未来の地球そのものだったという衝撃的シーンで続編に続いていくものだった。

 今回の「猿の惑星ジェネシス」が、果たして続編があるのか、あるとしたらどのような展開になるのか、そのあたりはわからないが、映像技術的には当然ながらリアル感があり、大いに楽しめる作品ではないかと思う。

 以前の「猿の惑星」をご存知ない若い方は、今回の「猿の惑星ジェネシス」をご覧になったら、是非過去の「猿の惑星」もレンタルDVDででも鑑賞してみるといいかと思う。同じタイトルを冠した映画ではあるが、これはどちらがどう、と比較対照すべきものではないと思える。なぜなら、まったく切り口が異なる作品ゆえ、まったく違う映画として捉えるべきだと思うからである。「猿の惑星ジェネシス」は筆者としては必見のおすすめの1本である。
猿の惑星ジェネシス2

ライフ~いのちをつなぐ物語~2011年09月09日 08時43分18秒

 今、話題となっている映画「ライフ~いのちをつなぐ物語」をレイトショーで見てきた。この手の映画は「オーシャンズ」以来2度めの鑑賞となるが、決して嫌いなジャンルではなく、むしろ積極的に見たい映画ジャンルなのだが、今までのイメージから何もわざわざ映画館で観る必要はないかな、と思いがちだった。

 しかし、この手の映画こそ本当は映画館の大画面で鑑賞すべきということを改めて思い知らさせた。先のハリーポッターと死の秘宝PART2を見る際に、どちらにしようかと自分なりに候補に上げていた作品ではあったが、その時には1日の映画デーで鑑賞料金が均一1000円だったこともあり、同じ見るなら上映時間が長い方がお得かな、という極めてセコい判断材料で決めたのだが、その時から「生きる」ということを問いかけるような映画PRコピーにかなり惹かれていた。

ライフ3

 実際に見ての感想は、まず映像に驚嘆したこと。自然界で生息する動物を一体どうやってあそこまでアップで写せるのか?と、驚くばかりである。野生の動物の目の表情や、その皮膚の状態などが、信じられないくらいの近距離で映し出される。つい、人間が入った着ぐるみか?などと思ってしまうほどである。素早い動きがスローモーションで映し出されるシーンも何度もあるが、これもまさに今の大幅に進歩した映像技術のなせるワザなのか!と驚く。

 以前見た「オーシャンズ」もそれなりによかったが、海洋生物の世界のみだったが、今回の「ライフ」は多種類に渡ってその生態が映し出される。テレビでもやたらとPRしているようだが、確かに見る価値は十分にあるのではないかと思う。

ライフ2

 ただ、これはあくまでも個人的嗜好の問題でしかないのだが、筆者としては「ちょっと…」と思える場面も多々あった。力の強い部族だけが暖かい温泉につかれるニホンザルの社会は、確かに人間の世界でも権力のある者、経済力のある者だけが味わえる生活があるのは共通であり、不公平でありつつも仕方ない社会構造なのだろうが、それをこうした動物社会でも見せつけられると何とも切ない気持ちになる。

 ダチョウに襲い掛かる3頭のチーター、カマキリを素早い舌のビーム砲で捕獲するカメレオン、ひと噛みして大きな水牛に傷を負わせた後、何日もひたすら水牛が弱るのを周囲でじっと見続け、息耐えた水牛にありつくコモドオオトカゲの驚異的な執念と冷酷さ…こうしたいわゆる弱肉強食は自然界では当たり前であり、またこうした非情とも言える実態があってこそ、生態系が守られていると言えばその通りなのだが、正直なところ、筆者はこの手のシーンが苦手である。

ライフ5

 ひとつの生命が危機にさらされているのなら、何故助けないのか?と、つい思ってしまうのである。いかに弱肉強食とはいえ、生態系の自然の摂理とはいえ、つい目を覆いたくなってしまうのである。特権階級的なものしか温泉につかれないニホンザルの生態は、厳しい野生の世界では当たり前なのだ、と頭で理解しつつも、それを恨めしそうに周囲でこごえながら傍観しているサルが可哀想ではないかと同情し、同時に、人間界でも同じような状況が日常茶飯事にあることを思い、何やら皮肉っているようにも思える。

 自分が生きるために獲物を探し、それを仕留め食事にする野生の世界を非情として、餌食になる側を自然の摂理に逆らって助けたとしたらどうなるのか?そんなことを考えたら、じゃあ人間はどうなのか?自分自身はどうなのか?鶏肉や牛肉や豚肉を食べるではないか。焼き魚もお刺身も食べるではないか。ベジタリアンならどうか、と考えても、植物とてやはり生き物である。人間は野生の世界に生息する多種多様の生き物をエサとして生息しているこの地球上でもっとも凶悪とも言える生き物なのかもしれない。

ライフ8

 バシリスクというトカゲの一種だったか、水の上を超高速で走る姿は、まさに神技ともいうべき芸当だが、それも見事に映像となっている。追っ手から驚異的なスピードと知恵で逃げ切るハネジネズミの映像なども、これは本当に生の映像なのか?とつい疑いたくなるほどである。

 筆者のように、弱肉強食のシーンが苦手でなければ、この地球上に生きる生き物について、驚異的な映像を楽しみ、同時に「生きる」ということについて、各自がそれぞれに考えるところがあるのではないかと思う。近頃は上映作品もすぐにDVDなりブルーレイとなって発売されるが、この「ライフ」はやはり映画館という大画面と迫力のサウンドで鑑賞してこそ、その作品を堪能できるのではないかと思う。100分たらずの長編とは言い難い作品だが、映画館で鑑賞すべき素晴らしい作品だと思う。
 
 前述した苦手シーンはあくまでも筆者の個人的嗜好や感覚の問題であり、またもうひとつ、エンディングのミスチルの「蘇生」という曲はこの作品にはアンマッチではないかと思えた。あくまでも個人的見解であることをご理解いただきたい。

ライフ7

結末は?ハリーポッター「死の秘宝」PART22011年09月05日 09時32分47秒

  9月1日のこと。まとまった有給休暇を取り、しかも1日はファーストデイと銘打って入場料は1000円均一となれば、これは久々に映画でも見ようか、と思った。ところが、そんな時に限ってこれは絶対見たい!と思える映画をやっていない。映画評論を職業としているわけでもないゆえ、何も無理して見る必要もないのだが、こういうチャンスはそう頻繁にあるものでもない…と考えると、どうにも惜しい。

 ならば、そうそう、PART1を見たハリーポッター最終章のPART2があるかと思い、見に行くことにした。3D版とノーマルなフィルム版で上映していたが、3D版は吹替え版であることもあったが、そうでなくても特に3D版で見たいとも思っていなかったので、ノーマルな字幕版を見た。筆者は決して3D映画を否定するわけではないのだが、「アバター」以来、とにもかくにも3D映画…という状況には正直なところ、賛成しかねることも事実である。

 それはともかく、先にPART1を見た際に記したが、筆者にとって不覚にもそれが初めてのハリーポッター鑑賞であった。それゆえ、それまでの展開もまったく理解できず、世間で騒ぐほどの面白さは実感できなかった。しかし、今回はPART1を見た「実績」がある。最終章のみとはいえ、少なくとも前回見た時よりは、スムーズに鑑賞できるのではないかと思っていた。


 果たして、確かにPART2はPART1よりもすんなりと溶け込めた。そして特に間延びすることもなく、退屈することもなく見終えた。そして、まず最初に思ったことは、なんだ、これなら「死の秘宝」の巻はPART1を見なくても十分にこのPART2だけでいいのでは?という感想だった。世間ではこれほどの空前絶後の大ヒット作品だけに、本当に今回の「死の秘宝」で終わりなのか、もう続編はないのか?と話題になったようで、作者がこれで終わり、と断言したことで、本当にハリーポッターは最終章とのことだが、確かに最後は19年後となり、よくあるパターンではあるが、ハリーポッターもお父さんとなり、自分の子どもがかつて自分が所属した魔法学校の宿舎に入るために汽車に乗るのを見送るというシチュエーションでエンドである。

 まぁ、終わらせ方はいろいろではあるが、正直なところ、ちと平凡かなぁと思えた。そして、見終えて時間が経過するにつれて、何やら妙に「よく考えてみると…」と思えることがいくつか浮かんできた。まず、PART1の時は宿敵、ヴォルデモート卿(何か鼻がつぶれたような容貌の人物)が恐ろしい悪漢魔法使いの親分というイメージで、気色悪く思えたのだが、ハリーポッターが死んだと思い、これからは自分に服従するように、とうれしそうにハリーポッター軍勢に言うシーンを思い出して、妙にこっけいに思えてしまった。あくまでも冷徹、クールなキャラクターだった方がいいと思うのだが、妙にうれしそうなヴォルデモート卿の表情は、よくよく考えてみると、何かカエルのようでユニークだなぁと思えた。


 そして、この宿敵ヴォルデモート卿とハリーポッターの世紀の対決は、最後の分霊箱であるというヘビのクビを切り落とすことで、あっけなく幕となるが、そのヘビのクビを切り落とすのはハリーポッターではなく、別の場所で別の人物である。そうした結末から、PART1、そしてPART2と振り返ってみると、ハリーポッターって、活躍したっけ?という妙な印象だった。

 何せ、最終章となる「死の秘宝」からしか見ていないゆえ、ハリーポッターがいかに優秀な魔法使いなのか、仲間内でのヒーロー的存在なのか、理解していないのだが、何か結局あまり活躍していないじゃん?と思えてしまった。勝手なイメージであるが、ヒーローはやはり圧倒的なパワーで悪漢をねじ伏せてほしいではないか。魔法にしても他の誰も決して真似のできない唯一の必殺技を持っていてほしいし、悪漢の親分も死闘の末、自力で倒してほしいではないか。それも最後は誰にも真似のできないヒーローだけが駆使できる必殺の魔法で、である。

 …何やら批判的な内容に思えるかもしれないが、決してそういう主旨ではなく、最初からの流れや展開をまったく知らず、この最終章「死の秘宝」のPART1とPART2のみしか知らないゆえの筆者の勝手な見解である。ファンからすれば、お怒りをかうだろうが、そのあたりはお許しいただきたい。ただ、空前の大ヒットシリーズ作品だけに、筆者としては過大なる期待をしていた傾向がある。特撮にしてもPART1の感想でも記したが、やはり最高峰といえるシーンを大いに期待したし、そうした特撮が魔法の醍醐味でもある。


 ニワトコの杖というのが登場し、それは世界最強の杖なのだそうで、手に入れたヴォルデモート卿は真の持ち主ではないことから、杖がその威力を発揮せず、言うことを聞かなかったようで、実はその持ち主は主人公、ハリーポッターだったとのことだが、その世界最強の杖を駆使して、ハリーポッターにはとてつもないその威力を見せてほしかった。最後は不要の長物として真っ二つに折って、惜しげもなく捨ててしまうにしても、その前にその最強の威力を最新の特撮技術を駆使して大画面で見せてほしかった。

 長年のファンからすると、今回の最終章は恐らく後ろ髪を引かれる思いで、続編への期待もあるだろうが、どんなものにも全て最後があり、終わりがあるからこそ、また新しいものが始まる。やや批判的に前述したが、平凡な結末だからこそ、逆に空前の大ヒットシリーズとしてはよかったのかもしれない。